母と楽しく介護生活

楽しく介護生活を

在宅介護者に、もっともっと財政的支援をしてください。

10月29日(日)検温 35度8分

少し前から右足の膝の内側部分の骨の部分に鈍痛があり、歩くと痛くて痛くてたまりません。

でも、仕事があるので歩かないわけにもいかず、かなりキツメのサポーターをしています。このサポターをしているとかなり痛みが和らぎ、何とか仕事をこなしています。

でも、実際に歩行できなくなったら一巻の終わりですよ。収入途絶えたら介護どころではなくなります。いま必死にリハビリのエクササイズをして、もとに戻る努力をしているところです

在宅介護者に、財政的な支援を行政がしてくれないかなあと、本当に思います。

在宅介護を隠れ蓑にして、支援だけ受けようとしているのだろうと考える人がいるのはわかっていますが、支援できる簡単なシステムを作り、その調査のもとに支援を決定するような仕組みを作っていただきたいなあ。

生活保護制度とは別の制度として考えたらどうだろうか。

特に私のような老々介護をしている世帯には、早急に手を打っていただきたいものです。

それが実現できれば、介護者も財政的に安心して、介護に励めるし、被介護者が施設に入らないことにより、施設の収容人員も余裕が生まれてくるのではないだろうか。

ウィンウィンとまではいかないけど、結果として介護費用の削減になるのではないだろうか。

また、介護者も覚悟をもって、日々介護ができるのではないだろうか。

一考してもいい課題だと思うのですが!!!

 

 

終の棲家?か老人ホ―ム

10月27日(金)

最近こんなことばかり思います。

多くの人が、自分の老後は介護施設でと考えているかもしれませんが、そんなに簡単に入居できる時代は遠い時代となりそうですよ。

だって、施設を担う人材がいなければ、そもそも施設は存在すらできなんですから。

今、年間の出生数が100万人を切って久しいですが、この子たちが成人になって果たしてどれだけの人が介護業界に向かうのだろうか。

そして、その時に介護を必要とする人数はどうかと考えたときに、介護職員一人で30人、40人という老人の世話をできるのだろうか。

答えは明らかです。絶対に無理です。

つまり、金銭的に仮に可能であったとしても、施設に入りことさえできない時代が、そこにきています。

つまり、自分の老後は自分でやってゆく時代がやってきているということです。

人口調節が付くか、海外からの大量の移住者を認めるか、いずれかしかありません。

そして、海外移住者を大量に受け入れることは、この日本では難しいことからすると、介護職員の人材不足は何十年も続くことが考えられます。

いろいろなIT化を図ったとしても、希望者がみんな介護サービスを満足に受けられることはできないと考えられます。

困ったことですが、自分の老後を自分で面倒見ていかなければなりません。

それには、健康にいることしかありません。

仮に、病になっても、自分の力で治すしありません、そういう覚悟をもって生きていかなければないということです。

厳しいですが、覚悟をもって生きていかなければなりません。

私は、そのつもりでいます。

最近は、そんなことばかりが頭をよぎります。

でも、年をとっていくということは、そういうことなんだと。

 

 

 

在宅介護で思うこと

10月20日(金)

朝ネットを見ていたら、在宅介護をしている40代の女性が80代の母親の介護で経済的に追い詰められて、できることなら母親を置いて自分が消えてなくなりたいという記事が目に留まりました。

認知症の母の世話で排泄介助の大変さを訴えていた。自分でトイレに行くことができるため、自分が外出中にトイレに行くことを忘れて、床にしてしまい、しかもゆるかったりしてまき散らしてしまい、その後始末の大変さで施設にゆだねることも考えるが、ケアマネに相談したが、経済的に無理だと断念したと言っていました。

その記事によれば、生活は母の年金と姉からの仕送りで切り盛りしているみたいですが、それでは到底満足のいく介護は難しいはずです。

私の思ったところですが、厳しいようですが、この女性は自分の母親を在宅介護するうえでの覚悟が足りないように思えます。

もちろん介護する側の健康状態や年齢、経済的基盤などなど状況は各自異なりますが、でも在宅介護を始めた以上、母親への愛情を注ぎこまなくては、母にとって気後の良い介護ではないはずです。

自分の感情の前に、母がどのように感じるかを第一に感じてあげるのが在宅介護の最大の良い点だと思っています。

経済的に不安なら、許せる範囲で働かなくてはなりません。何もかも自分で背負い込むことはできないにしても、少しは稼がなくては。

それによって、選択肢が広がる可能性があるので、そうしてもらえれば。

とりとめのない話になりましたが、在宅介護をしていておもうことは、一生懸命に介護をする人にたいして、もう少し経済的支援をしてください、と思います。

経済的に不安があると、楽しい在宅介護はできないですよ。

これから、施設職員だって、どんどん減っていく時代が来ます。みんなが施設に入れるわけでもなく、また良いサービスをその施設で受けられる保証なんか(厳しいようですが)ありません。

これからますます在宅介護の必要性が増してきます。

楽しい在宅介護生活を送れるような経済的支援が絶対必要です。

経済的な不安がなければ、私ならもっともっと母の気に入るような介護ができると思っています。

やはり、近くにいてほしいのは施設職員ではなく、家族のはず、これは間違いないと思います。

これに気が付いてかつ積極的に動いてくれる政治家が現れることを願います。

 

膝が痛くて、歩くのもやっと!

10月15日(日)検温 35度4分 2回目36度1分 でした。

1週間ぐらい前から左足の膝の内側の骨の部分が痛くなり、数日前からひどくなり歩くことがやっとで、長く歩くと痛くて、一休みしながらでないと、前に進めないぐらいになってしまった。

どうも足の使い過ぎらしい。最も、母の世話をしながら仕事をし、炊事・洗濯・買い物等々私も少し辛いなあと感じてはいました。

でも、やめるわけにはいきません。やめたら、誰か変わってくれるのであればねえ。

ここ2,3日は仕事が休みなので、あまり動かず、足をいたわって休ませようと思っています。

それでもだめなら、医者に行こうかなあと。

私が動けなくなったらと想像すると、いやいや、頑張らねばと思っています。

ちょっとしたことで、簡単に普通の生活がいきなり大変になるんだあと、実感させられました。

明日、痛みが引いてることを願って。

 

背中が、痒い、痒い、itchy!

10月10日(火)検温 36度4分でした。

二つの心配事があります。

一つは、今朝のオムツ交換で解消されました。母、便がなかなかでなかったのですが、やっとでましたし、石のような硬いものではなくってよかった。これから順調にいくといいなあ。

二つ目は、背中のむず痒さをどうしたらなくせるかです。深夜に、ウー、ウーと声をだしていることがあり、声をかけると、大体が背中が痒くて、痒くて我慢できないというものです。私もねむいものでなかなか起きれないのですが、あまりに声が頻繁であると、やはり起きざるを得ません。

そして、「どうしたの」と声かけると、痒い、痒い、背中がと言って背中をうごかしていますので、パジャマに手を入れて、掻いてあげるんですけど、こちらも眠いもので、なかなかポイントにいかないみたいで、そのうちこちらの眠気も覚めてしまい、起きざるを得なくなってしまいます。

そのため、寝不足になっています。

かゆみ止めのクリームを塗っても、時間が経つと効果が薄れて、同じことになります。辛いのはははですから、何とか、方法がないかなあと。

こんなこの頃です。

一日中、天井とにらめっこのベッド生活では、効果的な方法がないのかなあ。

 

 

なかなかでないよう!

10月8日(日)検温 36度1分でした。

先々週頃から母の便通がはかばかしくなく、少し気になっていました。

そして先週になっても改善されず、金曜日(6日)の訪問看護のスッタフに任せようと思いました。

その訪問看護の看護士さんに事情を説明してお任せしたのですが、やはり便が硬くなって肛門からなかなか出てこれない状態のようで、看護士さんが指で何とか掻きだしてくれました(やはり看護師さんは凄い)。

硬い石ころ状のものが3つ出てきましたが、そのたびに母が痛い、やめてと叫んでいました。でも、まだおなかに残っているみたいで、もし出なかったら浣腸をトライしてくださいと言いましたが、自然に出るまで待とうと思います。

今までかなり順調に排泄があったのですが、こういうイレギュラーなことがこれから頻繁に起こるのかなあ。

母が気持ちよく一日一日を過ごせるようにしてあげたい。

 

 

 

 

 

 

 

今日の母

10月1日(日)体温36度2分

やっと、やっと、暑さからいよいよ解放されそうです。

でも、朝から母が背中が痒い、痒いというので軟膏を塗ったり、冷たいタオルで拭いてあげたりしましたが、なお痒がり、よくよく見ると母の爪でひっかいた跡が何か所もあり、あせもではないというぐらいに赤くみみずばれになっています。

この暑さが無くなれば、この痒さもなくなるのではと期待してますが、とりあえず、痒いと言ったら、冷水タオルで拭いてあげることにしています。

今は、痒さのピークも過ぎたらしく、寝ています。

痛いのも嫌だが、痒いのもたまらないだろうなあ。

寝たきりの辛さかもしれない。

できる限り、母の訴えに、応えてあげたい。